お盆に思い出す『思い・意識』の大切さ(1)

お盆が近づくと思い出すことがあります。


私の父と友人Aちゃんの父が他界した年、私たちは新盆でそれぞれ帰省していました。

幼い頃からお互いの父親を「Aちゃんのおじちゃん!!」と呼びあっていた私たちは、いまは亡き「おじちゃん」のお仏壇に交互にご挨拶させていただいていました。

友人の家に数十年ぶりにお邪魔し友人のご家族も全員集まったところで、久しぶりの再会を喜びあい幼い頃の思い出話で盛り上がっていました。

ふと、門のところに人影?? 気配を感じました。
(もちろん家の中にいる私たちからは広い敷地の門は見えません)

意識で見てみると・・・・・この家の主。
亡くなったおじちゃんが門の前で行ったり来たりしています。
これこそ、“亡くなった方が迷っておられる姿”??!!

彼らとコンタクトを取るときには、彼らの傍にイメージで行きます。
私自身の肉体はもちろん先ほどのところに置いたままで、テレパシーのように意識で会話します。

白河「Aちゃんのおじちゃん。○○の娘の伊都子です。おじちゃんがね、亡くなったと聞いてね、今日お盆のご挨拶にきたのですよ。」

おじちゃん「おお、いっちゃん、お帰り、ひさしぶりだねえ・・。いっちゃんのお父さんとね、さっきまで一緒じゃったよ。お父さんは自宅に帰られたよねえ・・。」

白河「はい。ところでおじちゃんは門を行ったり来たりしてどうなさったのですか?」

おじちゃん「ああ、あのねえ。なかなか入れんとよ、中に。」

白河「どうして入れんの??」

つづく

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