見える世界、見えない世界(1)

人間というものは視覚を通じて解釈する。

だから見えない物は信じないという人が多くて当たり前なのかも知れない。

見えないもの・・

それはあなたの心の中や頭の中で考えている物を、

書き出す前の報告書や論文、建物や機械の設計図或いは服やインテリアなどのデザイン他。

身近なところでは、今日作ろうと考えている夕食。

買い物に行って材料を買って仕込みをして・・と手間暇かけて、あなたの頭の中の料理が現実に出来上がっていく。

見えなかった物が形になっていく過程を私達は毎日、見て育ってきました。

飛行機だって、船だって、

誰かが鳥のように空を飛べたらとか、泳がずとも海の向こうに行ってみたいものだと考えた物が形になった。

駅の改札・・。

昔は駅員さんがハサミで切符に穴をあけていたが、

人員削減の為にいつの間にか何処に行ってもパスカードで通れるようになっている。(今では人手不足にも大いに役立っていますね)

どれもこれも、誰かが考えていることを形にしていくことで見えない物が見えてくるということです。

余りにも当たり前のことなので、人は真剣にこの事を考えることは無いようです。

白河は、目の前にないものが見えます。

話していると、

相手の家の様子や、本人も知らない或いは忘れていること、

飼い犬や猫の気持ちだったり、神社の祭壇のあたりから聞こえる声や、

神棚に祀ってあるお札の方からだったり、

先祖を思う人に答える亡き人達からのメッセージも聞こえます。

車の意識、植物の意識など、ありとあらゆるもの達が意識を持っていて、伝えてきます。

全ての意識は、相手の意識と同調出来ると確信した時にコミュニケーションをとってきます。

どういうことかと言うと・・

例えば植物の意識が「この人間なら自分の思いを受け取ってくれる」と分かった時に発する波動。

その波動は、彼らが救いを求めるときだったり、

人間や何かを救いたいと連絡して来るときだったりに発せられます。

つづく

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