あたりまえの中にある大切なこと(1)

ある日の電話セッション中の気づき。

それは日常の生活においては、「分かっていたつもり」の内容でした。

Aさん:「亡くなった父は今何をしていますか?お供えをしたいので、何か食べたいものはあるか聞いてもらえますか?」

白河:「お父様は今、スイカを植え育てていらっしゃるそうです。スイカのつるを持って眺めている様子がビジョンで見えます。それから食べたいものは・・・やはりスイカだそうです。スイカがお好きだったのですか?」

Aさん:「あ、父は農業でしたので色々なものを作っていました、もちろんスイカも。だからでしょうか?でも困りました。今はもう2月だしスイカは売っていませんし・・・。」

亡くなった方たちは、肉体から出た後暫くの間はその習慣になれる為、生きていらした頃の生活と同じような生活を送られています。

彼らは自分の事を聞いてくると分かると、その瞬間にはもう私たちの傍にスタンバイしています。

その方の父親も、最初から話に加わっていたかのように自分の今の状況を映像で見せてくれました。

まず自分の特徴や生前の得意だったことなどを、一瞬に映像で見せたりして話されますので、なるべく分かりやすくご本人に伝えます。それは同時通訳と同じように。

「冬になぜスイカ?」


その回答は、「あなた方は食べ物についてもっと真剣に向かい合うように」という内容でした。

つづく

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