人生に必要なこと(1)

穏やかなお正月を迎えられました。

2020年までのお正月は当たり前のように過ぎていましたが、この年末年始は少しだけこれまでの日常が戻り始めていました。当たり前の有り難さを、しみじみと感じられたのは私だけではなかったと思います。

国内の観光地も活気を取り戻し、受け入れる側も訪れる人々の顔も嬉しそうでした。自然からエネルギーを貰い新しい年に向けて活力を蓄えています。

6日の東京は大雪でした。雪景色で真っ白になった庭を眺めまた、真っ白なキャンバスに新しい人生を描くイメージをしました。

皆様も自分が心や頭の中に自分がどういう姿や、生活をしたいのかをイメージして欲しいと思います。

私たちはまず健康でありたいと思います。

健康なら立ち上がることや歩くこと、そして笑うことも自然にできます。

さて、先日、20年くらいのお付き合いのTさんから、年末の挨拶ということで連絡が入りました。

以前は頻繁に話していた、今は亡き彼女の父親の思い出を語り始めました。

Tさん「父が肺がんで余命3か月という宣告を受けたときに、私が心配して実家に戻ってみたら父が・・」

そういうと彼女は思い出したかのように、笑い出しました。笑ってしまって話が途切れ途切れになってしまいます。彼女の笑いが止まるのを待って次の話を聞きました。

Tさん「今から20年くらい前でしたけど、私の父が肺癌のため背中を開けて手術をしたのだけれど、それで体力がなくなっていって、ついには主治医からも匙を投げられてしまって・・。結局は、「余命3か月」と言われて本人も家族も覚悟を決めたんですよね。

父は厳しい人で、教育に厳しく私自身愛されたという実感はあまり無かったのですが、それでも、父との時間がないのかもと思うと、毎月のように時間を取って実家に帰ることにしていました。

ある日のこと、実家の近くで父に似た人が反対側の道を通り過ぎていくのが見えました。

(自転車??まさか見間違いよね・・。)

振り返ってもう一度、よく見てみると間違いなく父親が服をなびかせ自転車を元気よく漕いで買い物に行くところでした。

帰ってきた父に「自転車なんか乗っても大丈夫なの?無謀じゃないの?」と素直に疑問をぶつけてみました。

父は「ああ、医者からあと3か月と言われて “「はい、そうですか」とはいかない!” と思ってさあ。だってお前の知り合いの白河さんが『ああ、おとうさんなら大丈夫よ。』と言ってくれたんだろう??だから、俺は生きてやるぞ!!って決めたんだよ。」

それまで酸素ボンベを引っ張って過ごしていたのに、いつの間にか手放していました。

人ってあんなに変われるものなんだ、と驚いたのを覚えています。それから4年半も好きなことをして生き、大往生でした。まさか余命3か月と言われてからあんなに元気になった父に、「生きるということとは何か」を教えてもらったと思えました。」

そんな彼女が、何故か気にかかり年明けの週末に今度はこちらから電話をしてみました。

つづく

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