お盆に思い出す『思い・意識』の大切さ(3)

早速、「お迎え火です」と言って綺麗な割り箸を用意してもらって焚いてもらうと、おじちゃんは「ありがとう」と戻ってこられました。

ホッと一息ついてAちゃんのおばちゃんが、

「いっちゃん、質問ね。今までお迎え火を炊いてなかったけれどご先祖様はどうしていたんだろか。心配だわ。」

白河「ご先祖様が生きていらしたころはそんな風習は無いから『お盆に帰ってきて下さると信じて待ってくれている子孫のところ』に帰って来られたけれどね。新しい決まり事に、こうも簡単に生きている人も死んだ方も翻弄されてしまいます。」

迎える側が、迎え火が無くても大丈夫かしらと心配したり、亡くなった方も「こうでなければならない!!」と強く思い込んでしまうとその思いに囚われてしまいます。

お盆とは、今生きている人達が今は亡き人々を思い出し感謝する日。

『亡き人々の帰りを待ってご馳走をお盆に持って待つ=お盆』

亡き人達は自分の可愛い子孫たちが迎えてくれるのを楽しみにし、子孫の幸せと繁栄を願うというもの、と聞えてきます。そしてお盆とは、あの世の世界のことをこちらが真似してできたお祭りとも。

本来、魂の世界は仲良く輪になってみんなで助け合い、分かち合いニコニコ笑いながら成長するところなのだそうです。

わたしたちのご先祖様や先に旅たった人達は、魂の成長をしながら私たちに沢山のことを教えようとしてくれています。

Aちゃんのおじちゃんも、あの時は初めてのお盆で迷ってしまったけれど、今ではお迎え火を炊いても焚かなくても、お盆の支度をして待ってくれている家族のもとへと帰れています。

「思い・意識」の大切さを教えてもらえたお話です。

おわり

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