ある時、40代後半の女性Aさんから、自分が赤ちゃんの時にお宮参りをしてもらった神社の件で、ビックリした様子で報告とお礼がありました。
彼女は実家に帰った際、自分がお宮参りをしてもらった神社に参拝に出かけようとしていました。
彼女の母親は数年前に他界、父親も昨年他界。
両親亡き後平和に幸せに暮らしていけているのも、両親や産土さんのお蔭だとお礼と感謝をしに行こうと計画していました。
親に聞いていたお宮参り先は〇〇神社。
ところが、白河からは
「あなたのお宮参りの神社は熱田神宮(名古屋)ね。大きな白いちょうちんに神宮の名前がはっきり書いてあるから間違いないと思う。今はもう飾っていないみたいだけど」と言われ、親から聞いた神社とは名前が違いすぎます。
そこで、幼いころわが子のように可愛がってくれた叔母に、どこの神社だったのか、念の為に確認したそうです。
叔母は自信満々に、「Aちゃんのお宮参りの後に皆で一緒にお食事したから良く覚えているわよ、〇〇神社よ。」
「ああ、名前が一致しないなぁ・・・」と思った彼女は実家にしまってあった厚いアルバムを引っ張り出し、自分のお宮参りの写真を見つけました。
そこには、若い母親が自分を愛おしそうに抱く、生まれたての自分が写っていました。
熱田神宮のちょうちんの前で。
「やっぱり!!」
その写真をバックに入れ、一目散に熱田神宮へ行き、お礼と感謝、日本・世界・地球・自分の幸せを願ったそうです。
その話をしながら、お宮参りの写真を見せていただきました。
私たちは、生まれた時にこうして両親に愛され、神様にも報告してもらっています。
私たちの記憶より確かな記憶を持っている存在っていったい誰なのでしょう?
幼いとき、誰でも一度は聞いたことあると思います。
「必ずどこかで誰かがみている」とか「お天道様(おてんとうさま)はお見通し」と。
「それにしても、どうしてご両親や叔母様のお話に疑問を持ったの?」とAさんに聞いてみると、
「みんなの言葉を信じようと思ったのですけれど、先生の本に『親の記憶より神社の記憶のほうが正しかった』という例が書いてあったのを思い出して、絶対確かめてから!!と思ったのです。」
とのことでした。
自分たちのご先祖様のお墓参りや産土神社様への参拝などは、ぜひ時間を作って行くことをお勧めします。
おわり