伊勢内宮の参道を歩いている時からもう、嬉しい報告が次々に届きます。
Aさん「じつは、長年飼っていた“ペットが重病になりその治療費がとても高額で・・。更に、毎日注射に通わないといけなくて。」
白 河「猫さんね。」
Aさん「はい。それで、いつか先生と行きたいとずっと楽しみにしていた、伊勢神宮参拝をあきらめていました。セッションの時、白河先生に話したら、『行きたいの?大丈夫。行けると聞こえるもの』とのことでした。そうなると嬉しいとずっと思っていました。
そしたらなんと直ぐに、思いがけないお金が入ってきたんです。それも今回、必要な金額ピッタリでした。本当に不思議ですね。先生、ピッタリ入ってくるということは・・例えばもう少し多めに入ればと、念じれば多めに入ってくるということですか??(笑)」
白河「そうよね。そうありたいものよね。しかし、人間は無意識に『〇〇円あれば行けるのに』とか『神様お願い、せめてこの金額の分だけください。そうしたら私は願いが叶うのです』と制限をかけて必死で祈ってしまっているの。
せめて、この金額だけでもとイメージしているので、その金額が「はい。どうぞ」と届けられる仕組みなの。何故か、制限をかけてしまう癖があるので、その癖に気づく必要があるわね。」
彼女は、もし伊勢神宮参拝企画があれば、「絶対行く」と決めていました。けれど急な出費と猫の病気が心配で、行きたいのに行けない状態でした。
「もし次に伊勢参りがなかったらどうしよう、やはり行きたい」と何回も思っていたら参拝に必要な交通費も含めて丁度のお金が臨時収入として入ったそうです。
「先生、奇跡って時間に関係なくおきるのですね。」
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夫の会社の経理をずっと続けていたBさん
前回のお伊勢参りの時も参加し、その時に自分の夢のひとつとして焼き立てのパンと美味しいコーヒを出せる軽食屋さんをやってみたい、とずっとその計画を温めていました。
その計画が、今回の伊勢神宮参拝に参加した3日後に「お店のオープンが決定しました!」とのこと。
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現地合流のCさん
伊勢神宮に向かう最中に実母が病院に運ばれて、帰ることになりました、と合流してすぐにお帰りになったCさん。
ご本人は落ち着いていらしたけれど、お抹茶と甘いお菓子を食べてもらって、少しお話をしてお母様のところに向かわれました。
「もう高齢ですから、覚悟はしています」と言い残して。
4日後、Cさんと話しました。
Cさんは、明るい声で次のように話してくれました。
「実は、母を担当していた医療関係者も、周りの人たちも驚くことに、なんと母が生還したのです。母は高齢で、もともと余命を宣告されていましたし、血圧も最低にまで下がり関係者は全員“退院という形では戻れないだろう”と心の準備をしていました。(病名と病状を具体的に書くのは控えさせていただきます)
ところが、血圧も戻り意識もはっきりして、とても元気に話し出しました。
それで、なんと退院したのです。医療関係者も全員が「え??どういうこと?」って感じでした。
母は90歳を超えています。奇跡でしょうか、それともこれは母から、私達が学ぶことがまだあるということでしょうか。」
Cさんは、整体師です。常に病気の人や姿勢についても研究し、とても勉強熱心です。
母親の生還は奇跡ですね。しかし母親を、高齢者の病気と看護の「教材」として捉えているとその役割を母親が担ってしまうことにもなりかねません。
私達は、愛情でも義務でも“自分が何を思い行動しているのか”を常に意識する必要があるのです。
つづく